フィレンツェの中心であるドゥオーモ。街の一番中心の教会であるフィレンツェの大聖堂です。フィレンツェ観光は先ずここから始めると良いでしょう。
Santa Maria del Fiore
サンタマリア・デル・フィオーレ聖堂(ドゥオーモ)
Piazza Duomo, Firenze
月曜~水曜10-17 木曜9-15:30、金曜9-17;30、土曜10-16:45(第一のみ10-15) 日曜13:30-16:45
フィレンツェのドゥオーモ(大聖堂)の正式名称は、Santa Maria del Fiore (サンタ・マリア・デル・フィオーレ=花の聖母)です。
今のドゥオーモがある場所には、Santa Reparata(サンタ・レパラータ)という小さな教会がありました。現在のドゥオーモ内部で比較すると、正面から身廊2本目の柱位までの距離がこの最初の小さな教会の大きさです。
1200年代後半 フィレンツェの経済が発展する
1294年 フィレンツェ政府は建築家Arnolfo di Cambio(アルノルフォ・ディ・カンビオ)にベッキオ宮殿とドゥオーモの設計を依頼する
1296年 工事開始のための基石が置かれる
1331年 フィレンツェ政府はドゥオーモに関する工事監督をフィレンツェの羊毛商工会に依頼する
1333年 アルノルフォ・ディ・カンビオ死去
1334年 アルノルフォ・ディ・カンビオによって計画されていた鐘楼の設計をGiotto(ジョットー 画家としても有名)が引き受ける
1336年 ジョットー死去 その後、彫刻家Andrea Pisano(アンドレア・ピサーノ) が鐘楼の建造に携わる
1350年 アンドレア・ピサーノの死後、Francesco Talenti(フランチェスコ・タレンティ)がドゥオーモと鐘楼の建造に携わる。
1401年 洗礼堂の扉のパネルを依頼する彫刻家を選ぶためのコンペが行われる
題材は、「イサクの犠牲」。このコンクールについては、また次の機会に触れたいと思いますが、当時、厳しい選考に、Lorenzo Ghiberti(ロレンツォギベルティー当時23歳)、Filippo Brunelleschi(フィリッポ・ブルネッレスキ当時22才)、Jacopo della Quercia(ヤコポ・デッラ・クエルチャ当時27才)が残り、最終的には、ギベルティーが優勝しました。
コンクールの時のパネルは、ギベルティーと、ブルネッレスキのものが、フィレンツェの国立バルジェッロ博物館に保存されています。
失望したブルネッレスキは、ローマへと建築の勉強へ行き、そこでローマの遺跡を目にし、パンテオンの屋根に登って外層の石をどかして構造を研究したと言われています。
規模は全く違うにしても、その後、彼が設計し、完成させたドゥオーモのクーポラの構造の一部はパンテオンからヒントを得ていることは明らかです。
もし、ギベルティーではなく、ブルネッレスキが扉のパネルコンペに優勝していたら、また、失望したブルネッレスキがローマに行っていなかったら、もしかしたら、フィレンツェのドゥオーモには、クーポラはのっかっていなかったかも知れません。歴史って不思議。
1418年 今度はドゥオーモのクーポラのプロジェクトのコンペが行われる。ギベルティーとブルネッレスキが競い合い、ブルネッレスキが優勝する。
ブルネッレスキは20年近くかけて建築を学び、建築家として名誉挽回をしたんですね。
写真左: ドゥオーモの大部分の設計に携わったアルノルフォ・ディ・カンビオ
写真右: ブルネッレスキが見上げているのは勿論・・・ 彼が設計したクーポラです。
どちらの像も、ドゥオーモに向かっての右脇にあります。
1436年 ブルネッレスキのクーポラ完成 こうしてフィレンツェのドゥオーモは140年かかってやっと完成したのです。ふう~、長かった(書くのも・笑)。
1436年 3月25日、当時フィレンツェのサンタマリア・ノヴェッラ修道院に滞在していたローマ法王エウジェーニオ4世により奉納の儀式が行われました。
サンタマリア・ノヴェッラ教会から洗礼堂の中を突っ切り、ドゥオーモの扉まで、カーペットが敷かれた木製の舞台のような通路が用意され、法王や司教達の行列が通ったそうです。
さぞ華やかだったでしょうね。
当時59歳だったブルネッレスキもこの式典に参列したはずです。
フィレンツェを訪れたら必ず見に行く観光スポットのドゥオーモ。間近でみるとかなり迫力があります。
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、私が、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。現在は、全ての教会や美術館ではフラッシュ撮影は禁止、フラッシュなしの写真撮影も禁止している所が多くあります。今まで残ってくれた美術品に感謝しながら、これからも長く保存していけるように、鑑賞したいものですね。
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