ルネッサンスの建築家、レオン・バッティスタ・アルベルティにより設計されたフィレンツェ中央駅のすぐそばにあるドメニコ派修道院つきの教会です。
Basilica di Santa Maria Novella
サンタマリアノヴェッラ聖堂1
Piazza Santa Maria Novella, 50122 Firenze 月曜~木曜 9-17:30 金曜 11-17:30 土曜 9-17 日曜 13-17 写真撮影不可
1219年からフィレンツェに駐在し始めたドメニコ派の修道院つき教会として建てられたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会は1325年ごろに今の形となりました。
ファサード(正面)は2008年に修復が終わりとても綺麗になりました。
、ルネッサンスの建築家、レオン・バッティスタ・アルベルティのプロジェクトにより1457年から70年の間に建造されたものです。
1439 年から1442年までの3年間と1458年には、この教会を舞台にconcilio(コンチーリオ=東方キリスト教会とローマのバチカン教会の宗教会議) が行われました。コンスタンティノープルの東方教会とバチカン教会の教義の一部統一が目的の会議でしたが、それだけではなく、東方文化を直接フィレンツェ にもたらした刺激的な機会だったそうです。フィレンツェの代表的な教会は、ドゥオーモですが、公会議の舞台としてサンタ・マリア・ノヴェッラ教会が選ばれたのは、東方教会の来客を迎えるための宿舎を備えた修道院であったからです。
右手側の各礼拝堂から順に見て行き、身廊がラテン十字と交差する右側のあたりの壁下部にGiuseppe partiarca di Constantinopoliというお坊さんのお墓があります。
1400年代半ばに3年間続いた東方キリスト教会と西方キリスト教会の間での公会議の際に、遠いコンスタンティノープルからフィレンツェに来て、滞在中に亡くなったそうです。
服装がちょっと東方風で、足元の石碑には最後にアラブ文字らしきものが見えています。
通常、教会の向かって正面の礼拝堂は、当時の貴族のプライベートの礼拝堂ではなく、教会自体に既存するのですが、この教会では、正面の礼拝堂も、フィレンツェの貴族トルナブオー二家の礼拝堂です。
左右の壁のフレスコ画はドメニコ・ギルランダイヨ作(1485年ー90年)です。向かって左側が、「聖母マリアの誕生」、右側は「洗礼者ヨハネの生涯」です。 「聖母マリアの誕生」(画像上)は、登場人物の服装、室内の様子、または外の風景が全てルネッサンス期のフィレンツェなのがなかなか興味深いです。当時はこんな服装だったんですね。
正面に向かって左側には、マサッチョ作「三位一体」があります。
下部の「横たわる骸骨」は、アダムの墓なのではないかという説があるそうです。
アダムの墓から生えた木が、キリストの磔刑で使われた十字架になったという伝説があるからです。
神とキリスト、聖母マリアと洗礼者ヨハネの下には、このフレスコ画を寄贈した貴族レンツィ家の二人が描かれています。聖なる登場人物に並んで自分の姿も描き加えてもらうってどんな気分だったんでしょうねえ。
遠近法と肉体表現の観点から見て、画期的な作品であったことは、他のガイドブックにお任せして・・・後編に続きます。
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、私が、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。現在は、全ての教会や美術館ではフラッシュ撮影は禁止、フラッシュなしの写真撮影も禁止している所が多くあります。今まで残ってくれた美術品に感謝しながら、これからも長く保存していけるように、鑑賞したいものですね。
この記事へのコメントはありません。