メディチ家が長く住居として利用していた建物です。ルネサンス時代の画家、べノッツォ・ゴッツォリの素晴らしいフレスコ画が残る礼拝堂を見学する事が出来ます。
Palazzo Medici Riccardi
メディチ・リッカルディ宮殿1
Via Camillo Cavour 3, Firenze 月曜~日曜 9-19 水曜休 礼拝堂内は写真撮影不可
フレスコ画に描かれた人物は、殆どが当時実在した人物または、故人であることが判っています。
三賢王のお付きとして描かれている人物の表情にはそれぞれに特徴があり、当時の実在の人物を肖像画が得意だったべノッツォ・ゴッツォリが描いたそうなんですよ。 特に、若い王様の後ろに続くのは、それぞれメディチ家のメンバーです。それらの一部は、実際に誰をモデルにしたのか今でも知られています。
手前の茶色いロバの上に乗っているのは、当時60歳のコジモ・イル・ヴェッキオ(大コジモ)。商売上手でメディチ家に富をもたらした最初の人物です。
右隣の白い馬に乗っているのが彼の息子ピエロ・イル・ゴットゥーゾ(通風持ちのピエロ)、ロレンツォ豪華王の父です。
大コジモは孫のロレンツォ豪華王を立てて、自分は後方に控えているものの、良く見ると、ロバの上に乗っています。キリスト「人類の王」にちなんだロバの上に乗るコジモ。一商人であるとして、政治の表舞台には決して出ないけれども、実際のフィレンツェ(だけでなくヨーロッパの)政治を裏で操っていた彼の隠された野望を感じるのは読みすぎ?
本当は「王様」になりたかったのかも・・・。
写真左:右の白い馬に乗っているのが、リミニのシジスモンド・パンドルフォ・マラテスタ、左の馬に乗っているのがパヴィアのガレアッツォ・マリア・スフォルツァ。
それぞれ当時メディチ家と交流があった貴族のプリンチペです。
写真右: こちらを向いているのは、このフレスコ画を描いた、べノッツォ・ゴッツォリ本人です。ちゃんと帽子に名前が入っています(判りやすいっ!笑)。
実は、行列の先頭、老年の王を先導する人物の中にも、中世風の仮装をしてこちらを向くヴェノッツォ・ゴッツォリが居ます。2度も登場するのは製作者の特権といったところでしょうか(笑)
そして、左側の群集の中には、少年時代のロレンツォ豪華王が描かれています。鼻の形に特徴がありやや上目遣いの赤い帽子を被った少年です。
さらに右側4人目の同じ赤い帽子を被って下を向いた少年は、ロレンツォの弟のジュリアーノ。有名なドゥオーモ内でのクーデターで暗殺された人物です。
写真左 ロレンツォ美化前
写真右 ロレンツォ美化後(全然違うっ!・笑)
こうして、美化前の実際のロレンツ豪華王を描いた目的は何だったのでしょう?やはり人物像を美化するということは、肖像画が得意なヴェノッツォ・ゴッツォリのプライドが許さなかったのかな?
この当時、1月6日のエピファニーアにサンマルコ修道院から、カブール通りを通り、メディチ・リッカルディ宮の前を通ってドゥオーモまで、「三賢王のキリスト礼賛」を再現した、仮装行列が行われていたそうで、メディチ家のメンバーも、仮装をして参加をしたそうです。
きっと、コジモが自分の住居の中に描かせたこのフレスコ画は、かなり「内輪ウケ」な作品だったんでしょうね。
フィレンツェには沢山の美術館がありますが、この小さな礼拝堂も是非訪れていただきたい場所の1つです。美しいものがギュッと詰まった宝石箱のようなフィレンツェを象徴する礼拝堂です。
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、私が、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。現在は、全ての教会や美術館ではフラッシュ撮影は禁止、フラッシュなしの写真撮影も禁止している所が多くあります。今まで残ってくれた美術品に感謝しながら、これからも長く保存していけるように、鑑賞したいものですね。
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