マゾリーノ、マサッチョ、フィリッピーノ・リッピというフィレンツェ初期ルネサンス時代の世代の違う画家が描いたフレスコ画が残されています。
Cappella Brancacci
ブランカッチ礼拝堂
Piazza Santa Maria del Carmine, Firenze 月曜~土曜 10-17 日曜 13-17 火曜休 1月1日、1月7日、イースター、5月1日、7月16日、8月15日、12月25日休 礼拝堂内は写真撮影不可
さていよいよブランカッチ礼拝堂です。
カルミネ教会内の祭壇を正面に見た右側にある礼拝堂です。但し、現在は、教会内からは仕切りがあり見ることが出来ず、右脇の修道院側に見学者用の入り口から入ります。
この礼拝堂のフレスコ画の制作年代には色々な説がありますが、1424年頃に制作開始というのが定説であるようです。マゾリーノ、マザッチョ、フィリッピーノ・リッピという3人のルネサンスの巨匠が制作に携わりました。
判りづらいので、上の図で、制作者を記載してみました。
m(小文字)=Masolino(マゾリーノ)
M(大文字)=Masaccio (マザッチョ)
F=Filippino Lippi(フィリッピーノ・リッピ)
もともと、フィレンツェの商人ブランカッチ家の所有であったこの礼拝堂は、1424年頃にフェリーチェ・ブランカッチがフレスコ画の制作をマゾリーノ(1383-1440)と、マザッチョ(1401-28)に委託します。
下にフレスコ画に関連した出来事を羅列してみました。
1425年9月 マゾリーノがフレスコ画制作途中でフィレンツェを離れる
1427年 フィレンツェで新しい税法が施行される
1428年 マザッチョはローマに行き、そこで死去
1435年 委託主フェリーチェ・ブランカッチが反メディチの謀反の罪でフィレンツェから追放される
1481年ー1485年 フィリッピーノ・リッピが未完であったフレスコ画を完成させる
1771年 カルミネ教会が火事で焼ける。ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は残ったものの、鉄分を含む色彩は変色する。
1983年ー1990年 修復が行われる
番号順ではありませんが、お話の順に見てみます。
写真左は⑪アダムとエヴァ(マゾリーノ)
⑤貢ぎの銭(マザッチョ)
キリストと弟子達は、収税人から納税の義務を果たさないのかと詰め寄られます。
イエスは聖ペテロに、神の子には貢納の義務のないことを教えながらも、湖で魚をとるように言います(画面真ん中)。
釣れた魚の口には銀貨が入っており(画面左・写真では切れていますが)、聖ペテロはそれを収税人に渡す(画面右)というシーンです。
1つの画面の中に異なる時間が混在しているのに、とても判りやすい絵です。
1427年にフィレンツェでは新しい税法が施行されます。
1425年に市民全員の資産を計算しそれに課税するという近代的な税法が提案され、市民の間で賛否を争う激しい論争が広がります。
このフレスコ画は、「税金を払うことは市民として義務である」という当時の新しい思想が反映されていると言われています。
⑥聖ペテロの説教(マゾリーノ) ここでは飛ばしますがなかなか良い作品です。
寒そうに震える信者(本当に寒そう・笑)の表現、洗礼を受ける信者の肉体表現など、マザッチョがこのフレスコ画で成し遂げたこと、当時の他の画家に与えた影響は大きかったことが想像出来ます。
⑥足萎えの治療とタビタの蘇生
(マゾリーノ 一部マザッチョ?)
聖ペテロが行った奇跡のエピソードの1つ。
聖書のエピソード(過去)の絵に、1400年代のフィレンツェ街の風景(画面後方の建物や中央の二人組みの貴族)を組み込むことで、現代性を与え、よりリアリティーをかもし出すという手法は、このブランカッチ礼拝堂のフレスコ画以降、盛んに行われるようになります。
とても長くなってしまいスミマセン。どの作品も省略できないほど素晴らしく、一つ一つ皆さんと一緒に鑑賞したい気持ちです。
続きは次のページで・・・
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、私が、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。現在は、全ての教会や美術館ではフラッシュ撮影は禁止、フラッシュなしの写真撮影も禁止している所が多くあります。今まで残ってくれた美術品に感謝しながら、これからも長く保存していけるように、鑑賞したいものですね。
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