フィレンツェの街の中心部にある、大聖堂(通称ドゥオーモ)の正式名称は、Cattedrale di Santa Maria del Fiore サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂、花の聖母マリアの大聖堂という意味です。聖ロレンツォ教会に次いで、フィレンツェでは2番目に古い教会です。
基本情報
公開日 月曜日〜土曜日 日曜日の一部
公開時間 月曜日〜土曜日 通常10時〜16時30分 日曜日13時30分〜16時30分 但し、宗教行事により閉館時間は変動します。
非公開日 12月25日、1月1日、イースター、その他宗教行事によって閉館されます(特に日曜日)
入場料 無料
写真撮影 可(2016年11月時点)
タンクトップ、ショートパンツでの入場不可 飲み物、食べ物の持ち込み不可、携帯電話使用禁止
正しい開館時間、開館日は以下のサイトの右側にある、Change day で確認して下さい。
https://www.museumflorence.com/monuments/1-cathedral
建立
1296年 前身のサンタレパラータ教会を大聖堂として拡張する工事開始。
1436年 ブルネッレスキのクーポラ完成
1887年 正面のファサード完成
スタイル
イタリアンゴシック建築、および初期ルネサンス建築
【フィレンツェのドゥオーモの外観】
1296年にそれまであった、小さなサンタ・レパラータ聖堂を拡大し、街の大聖堂とする拡張工事が建築家アルノルフォ・デル・カンビオに依頼される。2段階の拡張工事を経て、クーポラを除いて現在の大きさになったのは、1421年頃。
クーポラ(天蓋)のデザインを選ぶコンクールが、1418年に行われ、建築家フィリッポ・ブルネッレスキが選出される。1436年にクーポラ完成
見所
フィリッポ・ブルネッレスキ設計のクーポラ(構造の模型等はドゥオーモ後方にある、ドゥオーモ博物館で見る事が出来る)
左側側壁にある、「アーモンド型装飾の聖母の扉」(1414-1421)。
【フィレンツェのドゥオーモの内部】
内部は、祭壇がある地上階と、地下(入り口近く右側の階段から降りる事が出来る)の2重構造になっている。
地上部は、身廊を中心にして、正面に主祭壇、左右に翼廊、奥には後陣が、ラテン十字を形作っている。地下部では、前身であったサンタレパラータ聖堂(その起源はローマ時代のドムス=住居に由来する)の遺跡を見る事が出来る。
見所
左側廊より時計回り
アンドレア・デル・カスターニョ「傭兵隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノ」(1456)
パオロ・ウッチェッロ「傭兵隊長ジョン・ホークウッド」(1436)
20年の差はあるもののほぼ同じ題材で制作され、並べて掲げられた珍しい作品です。馬の前足と後ろ足がどちらも同じ側、上がっているのは、馬の動作としてはあり得ないのですが、当時、遠近法を模索していた画家達の様子が想像出来ます。
ドメニコ・ディ・ミケリーノ「『神曲』を掲げるダンテ」(1465)
後世付け足されるファサードはないのですが、既にクーポラが完成していたドゥオーモの当時の姿が描かれています。
左側翼廊
ルカ・デッラ・ロッビア「キリスト復活」(1445)
主祭壇の天井
ジョルジョ・ヴァザーリ「最後の審判」(1579)
中央の裁きのキリストを中心にして、天国と地獄に送られる人々の姿を描いています。入場は予約制ですが、別の入り口から入るクーポラに登る途中で、このフレスコ画を間近に見る事が出来ます。
右側翼廊
ルカ・デッラ・ロッビア「キリスト昇天」(1451)
正面入り口上部
パオロ・ウッチェッロ「24時間時計文字盤」(1443年)
1478年4月26日、復活祭のミサ中に、フィレンツェの貴族パッティ家のメンバーが、メディチ家当主ロレンツォ豪華王を狙ったクーデターを起こし、ロレンツォの弟ジュリアーノが殺害されるという事件が、この大聖堂の中で起こります。ロレンツォは、左側翼廊の聖具室に閉じこもり、殺害を逃れます。
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