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サイト名(テキストリンクでお願いします):
フィレンツェ情報サイト「ラ・カーサ・ミーア」
以下は紹介文の1例です。スペースにあわせて変更していただいて結構です。
「イタリア、フィレンツェで短期滞在型アパート情報や滞在情報を発信しています。」
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、chihoが、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。
絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。
ヴァザーリの回廊が上を通っているヴェッキオ橋は、フィレンツェにある橋の中で一番古い橋です。
ローマ時代からこの場所に橋があったことが知られているんですよ。
1117年と1333年の洪水で流された後、タッデオ・ガッティ(またはネーリディフィオラヴァンテ)によって1345年に建造され、それ以来、660年以上、当時のまま残っているのです。
1557年の大洪水でフィレンツェの他の橋が全て流されてしまった時も、ヴェッキオ橋だけは残ります。
更に、1944年、連合軍の侵攻を妨げるべく、ドイツ軍はフィレンツェの橋を全て爆破して落とします。この時、ヴェッキオ橋だけは、爆破を免れ、残ったのです。
現在、フィレンツェでこうして橋の上に住居があるのはヴェッキオ橋だけですが、この橋が建造された当時は橋の上に住居を建てることはそれ程珍しいことではなかったそうです。

もし、この16世紀の洪水で他の橋が流されていなかったら、もし、ドイツ軍が他の橋を落とさなかったら、お隣のサンタ・トリニタ橋も、アッレ・グラーツィエ橋にもお家がのっかっていたのかも知れませんね(笑)。
それを思うと、600年以上落ちずに残ったヴェッキオ橋の素晴らしさを改めて感じます。


ご存知の通り、現在、橋の上には宝石屋さんのみが並んでいます。
フィレンツェ市が、フィレンツェの街中にあった肉屋を全てこの橋の上に集めます。街中にあるよりも橋の上にあったほうが、衛生的で匂いもしないと考えたようです。 きっと橋の上から直接排水をしたり、骨などを上から河に直接投げ捨てていたんでしょうね(汗)。
所が、あまりの悪臭のために1593年にコジモの息子、フランチェスコの弟であるフェルディナンド1世が肉屋を撤去し、宝石屋を橋の上に集めます(←かなり極端な変化ですが、確かに宝石は匂わないですもんね・笑)。こうして、それから400年以上、宝石屋が橋の上にあるというわけです。
当時、フィレンツェの政治を行っていたメディチ家のメンバーは、住居としてのピッティ宮殿がある河の反対側から、橋の上に作られたヴァザーリの回廊を通って、ウフィッツィ美術館、ヴェッキオ宮殿へと毎日通っていたんですもんね。
橋の上からの眺めです。のんびりしていてなかなか良いでしょ。

橋を対岸に渡る最後の部分は←このようになっています。
石造りの塔は、Palazzo Mannelli(パラッツォ・マンネッリ)と呼ばれる塔です。マンネッリ家が代々住んでおり、既にコジモ1世の時代でもかなり古い建物だったそうです。
クリーム色の部分がコジモ1世によって1564年に建設されたヴァザーリの回廊です。
ご存知の通り、ウフィッツィ美術館からピッティ宮殿を結ぶこの回廊は、当初の計画では、塔を突っ切るかたちで通過する予定だったのです。
ところが、この塔の所有者であったマンネッリ家はコジモ1世のプロジェクトに承諾しません。
メディチ家の支配者であるコジモ1世は「自分の家ではそれぞれがパトロンだ」と言い、マンネッリの主張を尊重して計画を変更します。
こうして橋の上の建物の上を通過していた回廊は、対岸に渡る途中、黄色い建物の部分で右側、橋の中心部に向かって回り込みます。
マンネッリの塔を避けるようにし、脇を支柱に支えられながらせり出すような形で通過し、下の左の写真のように、通りをアーチで渡ります。その先の建物は突っ切って通過しています




その後は、ピッティ宮まで回廊は裏道に入り、見えなくなってしまいます。
メインの通り、左側には可愛いカード屋さんがあります。葉書オタク(笑)としては見逃せないお店です。種類の豊富さはフィレンツェで一番かも知れません。
回廊は徐々に高度を下げ、ボーボリ公園が終点だそうです。
シニョリーア広場から徒歩1分です。