このサイトの情報が皆さんのイタリア旅行のお役に立ちましたら、旅行記ブログやお持ちのサイトに 「フィレンツェ情報ラ・カーサ・ミーア」としてこのトップページのリンクを貼っていただければ嬉しいです
サイト名(テキストリンクでお願いします):
フィレンツェ情報サイト「ラ・カーサ・ミーア」
以下は紹介文の1例です。スペースにあわせて変更していただいて結構です。
「イタリア、フィレンツェで短期滞在型アパート情報や滞在情報を発信しています。」
このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、chihoが、訪れたフィレンツェの教会や美術館について日記風に感想を綴った記事をまとめたものです。
絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。
久しぶりに"Museo Firenze come era"(フィレンツェ都市史博物館)に寄りました。ドゥオーモのすぐ近くにあるのですが、来館者もまばらで地味な博物館です。地図オタクな(笑)私は、たまにフラッとここに寄ります。
まず、入ってすぐのお部屋の正面に飾られているのは、1470年に描かれたフィレンツェ。
城壁に囲まれたフィレンツェの絵の中には、ドゥオーモ、シニョリーア広場、ピッティ宮殿、サンタクローチェ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会など今も残る建物を見ることができます。この絵を見始めると時間が経つのを忘れてしまうほど、好きな絵です。
勿論、ミケランジェロ広場が出来たのはずっと後だからないのですが、丘の上のサン・ミニアート・アル・モンテ教会が見えます。サンタトリニタ橋のたもとには、既に、今のフェラガモ本店がある建物があります。


これは、中世の時代から、1865年に城壁を取除く工事が始まるまで使われていた、それぞれの門の鍵です。
写真だと大きさが余り伝わらないのですが、ビックリするほど大きいです。古そうな皮の袋には、それぞれの門の名前が刻まれた金属製のタグがついています。鍵をなくしたり、間違えちゃったりってことなかったんでしょうかねえ・・・。


フィレンツェを囲む城壁には、出入用の門がいくつかありました。城壁が取り払われた今でも代表的な門は残っています。門は、Tavolaccini(タボラッチーニ)と呼ばれる門の番人達が、ヴェッキオ宮殿に保管されていた鍵を使って門の開閉を管理していたそうです。
朝の開門は朝一番の夜明けのアヴェマリアの時間(アントネッロ曰く朝の5時)、夜は夜中の1時が門限(笑)。
門は町の安全を守るという目的もあったようですが、それ以上に、市の大きな収入源であった"gabella"(ガベッラ=関税)の徴収するために利用されていたそうです。「町の鍵」って、ここで初めて見ました。何だかとっても重みがありますね。


時代順に並べられたフィレンツェの市街図もなかなか面白いです。数回に渡ってフィレンツェの城壁が街の外側に向かって移動されたのが判ります。サンタクローチェ教会の裏は畑だったんですね。


面白かったのがコレ。今はレプッブリカ広場になっている場所にもともとあった、"mercato vecchio"(メルカート・ベッキオ)と呼ばれた魚市場とその周辺の再現模型。当時はフィレンツェ人も魚を食べていたんでしょうかねえ。今は、サンタクローチェ教会近くに移動した、"Loggia di Pesce"(ロッジャ・ディ・ペッシェ)というアーケードはもともとここにあったんですね。市場周辺のユダヤ人街は1870年に一斉に壊され、レプッブリカ広場となりました。右の右の写真は、今日のレプッブリカ広場です。


反対側の展示室には、ローマ時代のフィレンツェの様子を再現した模型があります。
ローマ時代のフィレンツェの中心部は、ドゥオーモ寄りだったんですね。
手前の四角い広場のような場所は、現在のレプッブリカ広場の場所で、当時はローマ浴場だったそうです。
左側がドゥオーモ(針金で型どって印されています)、右端が現在のシニョリーア広場、そして右奥は、現在のシニョリーア広場とサンタクローチェ広場の間くらいの位置にあったコロッセオ。
ヴェッキオ橋のあたりに、既に木製の橋があったというのもなかなか興味深いです。
この他、1599年に描かれた"Lunette"(ルネッテ)と呼ばれる12枚の三日月型の絵も見ることが出来ます。
小さな博物館ですが、美術館や教会めぐりに疲れたとき、ちょっとのぞいてみるのも良いと思いますよ。
ドゥオーモの右斜め後ろから延びるVia dell'Oriuoloを進んだ先の左側。お庭が目印です。
月曜〜水曜9-14
土曜9-19
木曜、金曜、日曜日休
(6月から9月末までは火曜日も休み)
入場料2.7ユーロ (2008年現在)
写真撮影可能
(但しフラッシュは禁止)