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サイト名(テキストリンクでお願いします):
フィレンツェ情報サイト「ラ・カーサ・ミーア」
以下は紹介文の1例です。スペースにあわせて変更していただいて結構です。
「イタリア、フィレンツェで短期滞在型アパート情報や滞在情報を発信しています。」
1300年から、ルネサンス期を中心にフィレンツェの主な出来事を年表にしてみました。
白色=政治的な出来事右側はそれぞれの時代に生きた歴史上人物、芸術家の一覧です。カッコ内の年号は、左が生まれた年、右が死去した年です。人名は正式名にはこだわらず、一般に知られている名前で記載しています。
長いフィレンツェの歴史のほんの一部ですが、皆さんの街歩きがより楽しくなれば光栄です。
| 1294 | アルノルフォ・ディ・カンビオにヴェッキオ宮殿とドゥオーモの建造が依頼される | チマブーエ(1240-1302) |
| 1296 | ドゥオーモの建造開始 | ジョット(1267?-1337) |
| 1334 | ジョットが鐘楼の建造開始 | ギベルティー(1378-1455) |
| 1401 | 洗礼堂の扉パネルのコンクール |
ブルネッレスキ(1377-1446) |
| 1418 | ドゥオーモのクーポラ建造のコンクール | 大コジモ(1389-1464) |
| 1424 | 1428年までマサッチョがカルミネ教会のブランカッチ礼拝堂のフレスコ画を制作する | ドナテッロ(1386-1466) |
| 1433 | 大コジモ、一旦フィレンツェを追放されるが、翌年、再びフィレンツェに戻り、支配力を取り戻す | ルカ・デッラ・ロッビア(1400-1482) |
| 1436 | ブルネッレスキによりドゥオーモのクーポラ完成 | フラ・アンジェリコ(1400-55) |
| 1442 | 1445年までフラ・アンジェリコがサンマルコ修道院の房のフレスコ画を制作する | マサッチョ(1401-28) |
| 1470 | アルベルティーがサンタ・マリアノヴェッラ教会のファサード完成 | フィリッポ・リッピ(1406-69) |
| 1478 | メディチ家を狙ったクーデターがドゥオーモ内にて失敗 | ロレンツォ豪華王(1449-92) |
| 1480 | ロレンツォ豪華王によりフィレンツェはナポリ王とローマ法王と平和条約を結ぶ | |
| 1480年代前半、ボッティチェッリが「ヴィーナスの誕生」「春」を描く | ボッティチェッリ(1446-1497) | |
| 1481 | レオナルド・ダ・ヴィンチは修行をしたフィレンツェのヴェロッキオの工房を離れ、未完の「三王礼賛」を残してミラノに行く | レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519) |
| 1494 | イタリア侵攻中のフランス王シャルル8世とピエロ・ディ・メディチの交渉内容が原因でメディチ家フィレンツェから追放 | |
| 1496 | 修道僧サヴォナローラが「虚栄の焼却」を行う | フィリッピーノ・リッピ(1457-1504) |
| 1498 | ローマ法王を批判したことがきっかけで修道僧サヴォナローラがシニョリーア広場で処刑される | ミケランジェロ(1475-1564) |
| 1500 | レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェに戻り、1506年までの滞在中に制作活動を行う(モナリザも制作?) | |
| 1501 | フィレンツェはフランス王ルイ12世の援助により、アレッツォの反乱を収める | |
| 1504 | ミケランジェロ作ダヴィデがヴェッキオ宮殿前に置かれる | |
| 1512 | フランス軍のイタリアからの退去により、メディチ家のフィレンツェへの帰国が許される | ラッファエッロ (1483-1520) |
| 1513 | ロレンツォ豪華王の次男ジョヴァンニがレオ十世としてローマ法王に即位する | |
| 1519 | ローマよりロレンツォ豪華王の甥ジューリオ(後のローマ法王クレメンス七世)がフィレンツェに戻り政治を行う | |
| 1520 | 1534年までミケランジェロがメディチ家礼拝堂の墓碑を制作する | |
| 1522 | レオ十世とハドリアヌス6世を継いでロレンツォ豪華王の甥ジューリオがクレメンス七世としてローマ法王に即位する | |
| 1526 | 神聖ローマ皇帝カール5世とクレメンス7世との関係が悪化し、カール5世によるローマ略奪 |