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サイト名(テキストリンクでお願いします):
フィレンツェ情報サイト「ラ・カーサ・ミーア」

http://www.lacasamia.jp/

以下は紹介文の1例です。スペースにあわせて変更していただいて結構です。

「イタリア、フィレンツェで短期滞在型アパート情報や滞在情報を発信しています。」

フィレンツェ小話 嫁VS姑

このコンテンツでは、ブログ「フィレンツェ田舎生活便り2」で、フィレンツェの歴史上の人物、今に残る建物や芸術作品について歴史上の出来事と絡めて綴ったものです。 フィレンツェ旅行の出発前に読み物として楽しんでいただければと思います。

絵画作品や教会内の写真の一部はWEB上にある利用フリーの画像素材を使っています。

MARIA MADDARENA D'AUSTRIA
嫁VS姑〜マリア・マッダレーナ・ダウストリア
フェルディナンド
コジモ1世の息子として々の大事業を成し遂げ、メディチ家のみならずトスカーナ地方全体に富をもたらした人物、フェルディナンド1世は、1609年に60歳で亡くなります。若い頃から通風を病んでいたものの(メディチ家の当主は殆どがこの持病を持っていたんですよね)、公式行事などの「お食事の部」は出来るだけ参加せずに粗食を貫いたそうです(笑)。この時代の人にとっては、結構長生きをした方でしょうね。

亡くなる1年前の1608年に、息子コジモ2世とオーストリア大公カール2世の娘マリア・マッダレーナ・ダウストリアの婚礼が行われます。フランス王妃となったマリア・ディ・メディチ、オーストリア皇帝の妹と結婚するコジモ2世と、数々の政略結婚で行われるフェルディナンド1世の外交政策(汗)。

さて、フェルディナンド1世の死後、残されたのは未亡人となったクリスティーナ・ディ・ロレーナ(当時44歳)、コジモ2世(当時19歳)、マリア・マッダレーナ(当時19歳)。

コジモ2世は「一国の王が自分の事業を行うことは恥ずべきことだ」と、長い歴史を持つメディチ家の銀行事業を停止してしまいます。一方、ピッティ宮を大幅に増築し、祖父のコジモ1世の代から始まったフィレンツェ宮廷をピッティ宮にて大きく拡張します。ガリレオ・ガリレイを庇護した人物としても有名ですが、それはまた後程、お話しますね。

1614年、コジモ2世(当時24歳)は、重病にかかり、その後亡くなるまでの7年間の長い闘病生活に入ります。その間、フィレンツェの統治権を息子のフェルディナンド(当時9歳、後のフェルディナンド2世))に譲り、摂政として母親のクリスティーナ・ディ・ロレーナと妻のマリア・マッダレーナを立てるのです。

マリア マリア

画像左: 姑クリスティーナ・ディ・ロレーナ
画像右:
 嫁マリア・マッダレーナ・ダウストリア

ビシビシッと火花が飛び散っています(汗)。
クリスティーナはフランス王家の出身、マリア・マッダレーナはハプスブルグ家の出身であるために、フィレンツェのピッティ宮殿を舞台に、フランス対オーストリアの激しい家庭内戦争が繰り広げられるのでした。

亡くなる前、コジモ2世は、「二人、力を合わせてトスカーナを統治して欲しい」と思っていたようですが・・・・(う〜ん)。
どちらも、やんごとなき姫君達なので(笑)、政治には余り興味を示さず公式行事、宮廷のしきたりなどが大好きで膨大な数の貴婦人、使用人が雇われたそうです。フィレンツェの、ミケランジェロ広場側の丘の上に、Villa del Poggio Imperiale(ヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレ)と呼ばれる邸宅があります。「Imperiale=皇帝の」という名前が付けられたのは、神聖ローマ皇帝の姪であるマリア・マッダレーナのために改装されたからなんですね。

常に対立していた嫁と姑ですが、金銭感覚という点ではかなり共通点があったようで・・・

コジモ2世は父親から譲り受けた膨大な財産(金貨+宝石など)を保管した宝箱を、ヴェッキオ橋の上の丘にあるベルベデーレ要塞の地下に隠し持っていました。
彼は遺言で「この箱は、災害が起こった際の民への救援金として、または、家族の姫が結婚をする場合の持参金のために必要な場合以外は決して開けてはならない」という遺言を残します。

所が、コジモ2世の死後、二人はコッソリとこの宝箱を開けてしまい、残らず使ってしまうのでした。

宝箱を前にして、
「お義母様、開けてしまいましょうか?」(嫁)
「そうねえ、残しておいてもしょうがないわよね」(姑)

なんて会話をしていたんでしょうね(笑)。

最後に、家族の肖像。
(左)マリア・マッダレーナ・ダウストリア、(中央)コジモ2世、(右)息子のフェルディナンド(後のフェルディナンド2世)。この肖像画は、フィレンツェのウフィッツィ美術館に保管されています。

1621年にコジモ2世がなくなった当時、フェルディナンドは11歳のはず。フェルディナンド、11歳でもうヒゲが生えている!コジモ2世も、甲冑姿ですが、う〜んこの時期にはもう既に立っていられない程衰弱していたのではと思います。実際に、戦を経験したこともないんじゃないかな?

さて、嫁姑コンビは、さらにある政略結婚を企みます。
その話はまた後日・・